菊池神社と我ふるさと菊池

菊池氏の動き

(菊池神社下、市民広場の菊池武光像)

 
■菊池一族の動き

日本の年表 当主 出来事
平安時代
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鎌倉時代
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室町時代
初代則隆公
(のりたか)
1070年、大宰府天満宮領赤星荘の荘官として、肥後の国菊池に来る。菊池市深川に館を構え、菊池氏を名乗る。
2代経隆公
(つねたか)
菊池氏繁栄の基礎を築く
3代経頼公
(つねより)
筑前(福岡県)に進出し、勢力を拡大する。
4代経宗公
(つねむね)
1109年、鳥羽院の武者所として京都へ行く。
6代隆直公
(たかなお)
1182年平氏の九州支配に反抗して大宰府を攻めるが、敗北。1185年の壇ノ浦の戦いでは、源氏と戦って敗れる。
8代能隆公
(よしたか)
1221年承久の乱で後鳥羽上皇方として幕府と戦いに敗れる
10代武房公
(たけふさ)
2度の元寇(1274年文永の役、1281年弘安の役)で奮戦。蒙古襲来絵詞にその姿が描かれている。
12代武時公
(たけとき)
1333年天皇の綸旨を受けて博多の九州探題を攻撃したが、全員討ち死する。
13代武重公
(たけしげ)
1335年、新田義貞の軍に従い、箱根での足利尊氏との戦いで千本槍を生み出し、菊池の名を高める。聖護寺を建てる。
14代武士公
(たけひと)
家督を武光に譲り出家して旅に出る。
15代武光公
(たけみつ)
菊池城を取り戻し、征西将軍懐良(かねなが)親王を迎える。1359年筑後川の戦いで親王・武光軍が室町幕府軍に勝利する。
1363年、大宰府に征西府を置き九州統一
17代武朝公
(たけとも)
征西将軍良成(ながなり)親王とともに、室町幕府と戦う。北宮阿蘇神社を建てる。
20代為邦公
(ためくに)
1455年、朝鮮に遣使。貿易と文教に力を注ぐ。
21代重朝公
(しげとも)
1472年、隈府に孔子堂を建てる。菊池文教の隆盛に大きな功績を残す。
22代能運公
(よしゆき)
菊池氏直系最後の当主。相良氏との戦いに勝利する。
24代武包公
(たけかね)
菊池氏最後の当主。1520年、守護職を大伴氏に奪われる。

※参考文献 菊池文化財保護委員会『菊池の文化財』 菊池市教育委員会
        菊池白龍会『風雲菊池一族』
        菊池一族散策ガイドブック 菊池市観光協会・菊池市商工観光課

 




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